はじめに
踊り子たちの舞台上や、練習風景の絵で知られる『エドガー・ドガ』
彼は一体どんな人だったんだろうと気になり、調べてみました
ざっくり年表
1834年 パリ銀行員の裕福な家庭に生まれる
1847年 13歳の時にお母様が亡くなる (お父様は再婚せず、ドガの芸術の才能を伸ばすことに尽力された)
1853年 パリ大学法学部入学(のちに中退)
1855年 エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学
1865年 サロンへ出品を始める
1874年 第一回印象派展出品 お父様が亡くなる (多額の借金が発覚!)
1901年 視力の悪化(ほぼ失明状態に、、)
1917年 83歳で死去
印象派とは
モネ、ルノワールなど今でも展覧会は大人気!の印象派とは
「現実を見えたままに描こう」
とし、特に自然の光を描き出すことを追求したスタイルです
19世紀後半、当時の美術界の権威であったフランス美術アカデミーの主導するサロンでは、なかなか良い評価がされなかった彼らは
自分たちで展覧会を開き、ドガも第一回から、一度を除き毎年出品していたそうです
ドガは印象派??
印象派の画家として知られているドガですが、印象派の仲間たちが「戸外の自然の光の中で」描くのに対し
「室内で人工灯の下で」描くなど、印象派らしからぬところもあったようです
印象派と言われることを嫌ったり、仲間と衝突したりと気難しい性格でも有名だったそう
なぜバレエ?
- まぶしがり症 ドガは網膜の病気で”まぶしがり症”という病気だったそうです そのため、積極的に戸外へ出ていく他の印象派の画家と違い、室内での活動を好んでいました
- 借金返済 亡くなったお父様の多額の借金返済のため、当時人々によく売れた「踊り子の絵」をたくさん描いていたとも言われています
- オペラ座の定期会員 上流階級のお父様の教育方針により、幼いころから芸術に親しみのあったドガは、舞台裏や楽屋に自由に出入りすることができる権利も持っていました 普段から慣れ親しんでいたバレエはドガにとって描きやすかったそう
大人の裏話論争
ドガの絵の中に関しては、パトロンの存在(黒い服の男性)が囁かれるなど
現代は ”ほんとうは怖い絵”シリーズ としても人気です
バレエの歴史は「イタリアで生まれ フランスで開花し ロシアで成熟した」と言われますが
この作品の時代、フランスではバレエの「芸術としての価値」が低下していた時代
美しいだけでなく光と影のリアルを描いているところも、惹きつけられる理由なのかも
絵本『ドガさんをおいかけて』
こちらの『ドガさんを追いかけて』という大判の絵本は、大人の裏話は一切なし
ドガさんの画材セットが入った鞄と自分の鞄を間違えてしまった小さな踊り子が
印象派の画家たちに街でたくさん出会いながら
ドガさんを探しに行くというとても可愛らしいストーリーです
私も図書館で借りてみたのですが、大人も楽しめるおしゃれなアート絵本という感じでした
おわりに
どういう気持ちで描いていたかは本人に聞いてみないとわからない!!
照明を白いチュチュにいっぱいに浴びて美しく舞う踊り子を描いたドガの繊細な心を信じたい!とバレエファンの私は思ってしまいます
それはさておき、作品が世に出て100年以上後も人々の注目が集まり、様々な論争がされていることが貴重なこと
作品を見て感じる各々の気持ちを大切にしたいですね♡
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