はじめに
20世紀を代表する振付家ローラン・プティ
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』という本を参考に、彼について読み解いていきたいと思います
図書館で借りたこちらの本には、10年以上前の貸出票が挟まっていました
長い年月眠っていたらしいこちらの本に胸がときめきます!!!
ざっくり年表
1924年 1月13日 パリ郊外ヴィルモンブルに生まれる
(お父様はカフェの経営者、お母さまはイタリア生まれ)
1933年 9歳 パリ・オペラ座バレエ学校に入学
1940年 16歳 パリ・オペラ座に入団
1944年 20歳 オペラ座を退団 バレエ・デ・シャンゼリゼの結成に参画 ダンサー兼振付師として活躍
1946年 22歳 『若者と死』初演
1948年 24歳 バレエ・デ・シャンゼリゼを退団 バレエ・ド・パリを設立
1954年 30歳 ジジ・ジャンメールと結婚
1965年 41歳 『ノートル・ド・パリ』上演
1972年 48歳 マルセイユ・バレエ団を創設
2011年7月10日 スイスのジュネーブで死去 87歳
代表的な振付作品
プティが振付けた作品の数は、約200作品と言われています
その中でも『ノートルダム・ド・パリ』は、20年前に去ったパリ・オペラ座バレエのために制作した、プティにとって特別な作品となっています
生涯の伴侶ジジ・ジャンメール
1954年には、バレエ学校時代から同級生だったジジ・ジャンメールと結婚しました
ジジは、プティが振り付けた「カルメン」(1949)で主役を務め、世界で脚光を浴びました
その後、優雅さと美貌でショービジネス界の女王とうたわれ、世界的な人気を博しました
体格はごく小柄、脚はすらりと長く、声は生粋のパリっ子風に話し、髪は黒く、ショート・カット。まず第一の特徴は、ボーイッシュな魅力とヴァランティーヌという年端もいかない少女のような魅力を合わせ持っていること、第二に、ダイナマイトの箱のように才能がぎっしり詰まっていること、第三に、辞書に載っている褒め言葉と同じだけの特徴を持っていることだ。
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
お母さまはレペットの創業者
ローラン・プティの母親ローズ・レペット(Rose Repetto)はバレエシューズやダンス用品レペット(Repetto)の創業者です
周りの人達から見たプティ
周りの方の証言を見ると、作品からはわかりにくいプティ自身の人物像が少しずつ浮かび上がってきます
ローラン・プティは、九歳の時にした約束を守った
有名になること、熱心に仕事をすること、成功すること。厳しいこともあるが、普段は寛大で、時にはいっぷう変わっているローランは、舞踊の指導者の一人である。
人々は彼を恐れ、崇拝し、嫌悪し、称賛し、あるいは中傷する。どうして無関心でいられようか?
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
この魔術師、この喜劇役者にとって最も重要なことは、幕が開いて、自分の創案したバレエをダンサーたちが舞台で演じることである。なぜならバレエは彼の命だからだ。
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
パートナーであるジジも彼について証言しています
彼がバレエを振付ける時、驚くべきことは、全く新しいものを思いつくことです。音楽が彼をとりこにして物凄い衝撃を与えるのです。直観で行動し、あらかじめ何の準備もしていないのです。つまり、音楽が彼に与えるものをその瞬間に表現しているのがわかります。
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
人との出会いにおいても同じです。一種の勘で行動します。そして何か素晴らしいことをしようとする人たちと結びつくのです。私たちにとって、こうした彼と協力した人たち、今も協力している人たちみんなと出会えたことは信じられないほどの喜びです。
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
プティの言葉
本人の言葉からも彼の作品作りへの情熱が伝わってきます
旅公演のある晩、『カルメン』を上演していたある劇場に入った。私の『カルメン』についての知識と言えば、母から聞いた物語と、誰もが口ずさむいくつかのメロディーだけであった。
席に着き序曲を聞いた時、非常なショックを感じた。胸が熱くなってほとんど嗚咽していた。その続きを見ずに外に出た。その時、オペラの全幕を聴いたこともなく、メリメを読んだこともないのに、『カルメン』のバレエを創る決心をした。
『ローラン・プティ ダンスの魔術師』より
おわりに
魅力多きプティの作品たち
これからもきっと私たちに感動を与え続けてくれることと思います♡
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