はじめに
「ロシアはこの街並みの美しさを守るために、お金を使ってほしい」というロシア在住の方のツイートを目にしました
本当にその通りだと思います
今回はバレエの歴史の中で、特にロシアはどのような歴史を歩んできたのか、見てみたいと思います
「ロシアで成熟」の意味
「イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟した」と表現されるバレエの歴史
イタリアのルネッサンス期のダンスを起源とし、フランスの宮廷文化で花開いたバレエは、ルイ14世によって一大ブームが巻き起こされました
王立舞踏アカデミーを創立、基本のポジションが確立、など職業としてのダンサーの育成が始まり、多くのダンサーが活躍しました
しかし19世紀になると、エドガー・ドガの絵画からもわかるように、劇場は愛人を探す場と化し、バレエの質が低下していました
その頃、ロシアではヨーロッパの文化・芸術を取り入れる西欧化政策が推進され、その中でマリウス・プティパやチャイコフスキーなどが活躍しバレエを総合芸術に押し上げました
この流れが「ロシアで成熟」と言われる所以です
ボリショイ・バレエ団
現在、相次ぐダンサーの退団で話題になっているボリショイバレエ団はマリインスキーバレエ団と並びバレエ界を牽引する中心的な役割を担ってきました
もともと「ボリショイ」という語はロシア語で「大きい」または「壮大」を意味する言葉であり、ボリショイ・バレエはすなわち「大バレエ団」という意味になるが、その規模はまさにその名に違わぬものであるといえる。
ボリショイ・バレエ団 – Wikipedia
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ボリショイバレエといえば、ソリストとして活躍された岩田守弘さん
ボリショイバレエ団の退団後は、ロシア国立劇場の芸術監督を務められ、今は日本で活動されているそうです
「僕が二十年前に『ボリショイのソリストとして踊りたい』と言っても、冗談だと思われたでしょう。三年前に『東シベリアの歌劇場の芸術監督に就任したい』と言っても、アホと言われたでしょう。それでも現実に私の人生なのです。それはロシアが私に与えてくれたものでした」
『ボリショイ卒業』著:大前仁
クラシックバレエ様式の確立
19世紀後半になると、マリウス・プティパによって”これぞクラシック・バレエ”という形式が確立され、今も継承されています
チャイコフスキーの活躍
バレエ音楽と言えばチャイコフスキー
ロシア生まれ、ロシア育ちのチャイコフスキーのバレエ音楽は、評価されたのは亡くなった後でした
しかし、当時文化的に西欧諸国に後れを取っていたロシアの発展に一役買ったことは言うまでもありません
バレエリュスの衝撃
フランス語で「ロシアのバレエ」という意味のバレエリュスは、ディアギレフによって結成された私設バレエ団
奇跡のバレエ団と言われる彼らのパリでの活動によって、バレエはフランスでも再びブームを巻き起こしました
おわりに
夕方のニュース番組の中でバレエ教室の先生が「バレエではウクライナもロシアも家族」と話されていた姿が印象的でした
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