観る知るバレエ

牧阿佐美さん自伝『バレエに育てられて』を読んで

観る知るバレエ

はじめに

牧阿佐美先生について悲しいニュースが日本を駆け巡りました

心よりご冥福をお祈り申し上げます

母のような眼差しでバレエ界について語られていた姿が目に浮かぶ

牧阿佐美先生の自伝

『バレエに育てられて』での言葉を少しシェアさせていただきます

インドの舞踊と文化の研究に生涯を尽くされたお父様

インド舞踊やインド文化を研究するため、阿佐美先生の幼いころに旅立ってしまい

日本に帰ることはなかったというお父様の存在を

お母様の橘秋子さんも、阿佐美先生ご自身もずっと大切に想われていたそうです

本名とは異なる「牧」という名前は、お父様の芸名から付けられました

私に牧を名乗らせたのは母が父を愛し続けていたからだと思います』と書かれています

叔母は私によく言いました。

「阿佐美ちゃん、パパはあんたがちっちゃいとき置いていっちゃったんだから、捨てられたのと同じなんだよ。パパは悪い人だ」

すると母は必ず私に言い直すのです。

「いや、パパは芸術のために、その勉強のために行っているんだ。遊びに行っているわけじゃない。あなたのお父さんは素晴らしい人なんだ」

『バレエに育てられて』牧阿佐美

「教育」に重きをおかれたお母様

産みのお母さんである橘秋子さんと、育てのお母さんがいらっしゃった阿佐美先生ですが、

それぞれのご両親から、それぞれ違った形での愛情をたっぷり注がれて

とても素敵な関係を築かれていたようです

橘秋子さんは「教育」に重きを置かれる方で

「なによりもまずバレエ 団を結成して、水準の高い舞台を見せるべき」

という考えとは反対に、

まず子どもを教育すること

が先決だと考えておられたそう

ご自身のバレエ 留学については、

母は私に投資したわけではありません。私たち、バレエを学ぶ若い世代の全体に投資したのです

と述べられています

帰国後すぐに、バレエ 学校のなかで個人レッスンをはじめ、ご自身が学んだテクニックはもちろん、バレエ の精神を伝えていったそうです

オペラ座バレエ学校がなければ、パリ・オペラ座バレエは成立しません。

ワガノワ・バレエ学校がなければ、マリインスキー・バレエは成立しません。

バレエ学校というシステムが背後に感じられるバレエ団こそがもっとも必要なのではないでしょうか

『バレエに育てられて』牧阿佐美


お母様が63歳で亡くなられた後、遺志を汲んで発足されたものが

「日本児童バレエ(現 日本ジュニアバレエ) 」
でした

全国のバレエ教室から生徒を集め教育し、自分の教室に技術を持ち帰り

ほかの生徒を刺激し、お互いに高めあっていくことが目的とされています

アレクサンドラ・ダニロワとの出会い

バレエリュスのダンサーであったアレクサンドラ・ダニロワとの出会いについてはこう表現されていました

私は好運にも、二十世紀を代表するバレリーナが、踊ることから教えることへと関心を移したそのときに、目の前に登場することになったのでした

”ダニロワ先生”からの学びは、私生活においても教育においても、大きな気付きが多かったそう

新国立劇場20周年時メッセージより

1999年から2010年まで新国立劇場の舞踊芸術監督を務められた阿佐美先生

20周年のメッセージ動画の中で語られている

バレエは身体が楽器 磨き続けなければならない」

という表現がとっても素敵です

おわりに

この本を通して一番感じたのは、バレエはもちろんのことご両親への尊敬の心と愛情でした

直接は書かれていませんが、留学するときに大泣きしたというエピソードや

中村に預けられ、佐貫に預けられ、そして今度はダニロワに預けられる。私がそう感じていたということは、私の中にまだ子どもの感受性が残っていたということです

『バレエに育てられて』牧阿佐美

という記述から、バレエを追い続けるお母様のことをずっと大好きだった気持ちが想像できます

常に大好きなお父様とお母様のことを思いながらのバレエ人生だったのでは、と感じます

天国できっと再会されて、ゆっくりお話しされることを祈っています

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